ご自身の今まで全く経験していない業務を命じられたらどうしますか? 「今までやったことないから出来ません」「私には無理です、お断りします」と言いたいですよね。若い頃、少なくとも私はそういう会社員でした。
今回は、私が実際に会社で命じられた話をさせていただきます。私は理工系の学校を卒業後、新卒で入社した会社で配属されたのが開発技術部でした。そこで機械設計者として会社員をスタートしました。
会社を取り巻く環境の変化
3社目の勤務先
新卒で入社した会社は、私にとって理想的な会社(自宅から近い、転勤まずなし、メーカー)でした。しかし入社1年半後、突然その会社は倒産してしまいました。細かいことは今回は触れませんが、27歳の時に3回目の転職をしました。その会社はUSAに本社のある部品メーカーの日本法人でした。当時従業員は700人近くいましたし、日本国内に5つの工場がありましたから小さい会社ではありませんでした。
それなりに人事評価もしていただき、34歳の頃は品質保証部に所属していてハードな毎日を過ごしていました。しかしながら会社は楽しくて、毎日睡眠不足でしたが充実していました。私は、課長として3つのグループを統括する職務を担当していました。
勤務していた会社を取り巻く環境の変化
当時、私の勤務していた3社目にあたる外資系の部品メーカーの主要なお客様は、カーオーディオ、ビデオ、ビデオカメラ、一般家電などの大手電機メーカーでした。お客様の工場は国内にありましたが、ローエンドモデル(同じ商品ラインナップでも安い価格帯で大量に生産するもの)のコストダウン目的で海外生産が加速し始めた時期でした。中国生産全盛期の前の時代です。
私が入社した時、その会社の売上は、国内80%、海外輸出20%という比率でした。それが入社して5、6年も経ったころ、国内60%、海外輸出40%と、輸出の多い会社に変化していたのです。理由は前途のお客様の工場が、マレーシア、シンガポール、など東南アジアへと進出していったからになります。
ところがその様な東南アジアの工場の方達から、今まで見たこともなかった小型の部品をうまく取り扱いが出来なかったり、製造工程内で壊してしまったり、日本法人の海外営業部への問い合わせが殺到することになります。海外営業部は自社製品を海外に売り込むことが仕事ですから、本来の仕事ができないというクレームが社内で上がっていました。
ある日突然部長に呼ばれ
34歳の時、私の上司の部長から「社長が呼んでいるので一緒に来てほしい」と言われ社長室に向かいました。社長から突然「海外からの当社製品に対する技術的、品質的、取り扱いなどに対する問い合わせに対応するグループを品質保証部に設けるので、あなたに兼任して欲しい」と言われました。
当時の私が勤務していたその部品メーカーは、外資系でしたが海外営業部を除くと英語ができる社員がほとんどいない会社で、普通の日本企業の工場という感じでした。当然ですが私は学生時代から英語が大の苦手で、英語で海外の方達とやりとりするなんてありえない話でした。
私はすかさず「ご承知のように私は英語まったくできないし無理です」と言い返しました。すると「誰がやったって英語できないだろぅ、だったらあなたで良いでしょう」との切り返し。「やります」とは言いませんでしたが、下を向いていたと思います。そして「参ったけど、やるしかないか」なんて雰囲気だったと思います。それまでの人生の中でかなりのピンチ感あったと思います。
英語が原因でその会社を去るなんて
マレーシア、シンガポール
私が勤務していたその外資系の部品メーカーはそれぞれの国に拠点があり、現地のトラブルは現地の営業や品質保証部、必要に応じて技術部の方達から連絡がきました。コミュニケーションの基本はemailです。電話会議が必要な場合は海外営業部の方達にお手伝いいただき通訳をしてもらっていました。なんか海外営業部の皆様に毎度毎度申し訳なくていつも恐縮していました。
海外への返信のemailも大変でした。海外営業部の方達に添削してもらったり、でも完全なOJTでした(笑) もっと若い時なら良かったのですが、34歳になっていたので少しばつが悪かったです。
ある時、シンガポールにあるシンガポール法人の大切なお客様で日本の製品が品質トラブルをおこしました。シンガポール法人の品質保証部の方達と何回か電話会議をし、結局、私がシンガポールのお客様に同行して説明をすることになりました。このシンガポール出張が私の会社員として初めての海外出張となりました。
当然私は英語がまったくできませんので、現地の事務所にいた日本の方を通訳に訪問したのですが、結果全然ダメ。ダメ出しの連続で終わりました。このシンガポールのお客様へはその後、別件で何度か訪問をさせていただきました。でも毎回ダメ出し、不本意な気持ちで日本に帰ってきたことを覚えています。
一方、日本企業のお客様の海外工場(マレーシア、シンガポール)には日本の方が何人か駐在していたので、訪問させていただいた際は通訳なしで会話ができたのでこれは助かりました。やはり言葉は大事だな、と痛感していました。
台湾
この頃、台湾では、パソコンのメインボードを製造する会社がいくつかあり急成長していました。これら台湾の企業でも私たちの部品を採用してくれていて、私も何度か訪問させていただきました。この際も現地事務所にいる日本語のできる台湾の方を通訳として打ち合わせをするのですが、やはり上手くいかない。。。。私の日本語が変なのか悩んだ時期でもありました。
USAテキサス
当時USAのテキサス州に大手パソコンメーカーがあり、我々の部品を採用していただいており何度か訪問させていただきました。この時は、USA本社に日本語のできる従業員がおりませんでしたので、現地で通訳の方を雇ったり、日本の海外営業の方と訪問したりもありました。でも、通訳を介しての会議はなかなかうまくいかず、苦い思い出がたくさんあります。
どうしたら英語が上達するのか?
もうこれ、絶対に自分で英語できない限り無理だわ。いくつかの海外出張で受けた痛みによってようやく本気でその様に思うようになりました。通訳が悪いのか、私の日本語が悪いのか、白黒つけたかったのです。そして通訳の方に疑いをもとうとする自分も嫌で。決心しました。36歳になる少し前です。
まず、英会話の本とかいくつか買いましたが、本に記載されている会話以外の会話ができません。本に書いていないことを自分の応用力で補うほど英語力がない訳です。
英会話学校の説明会にも参加しました。クラス分けのために事前の英語力チェックがあったのですが、私は基礎クラスからスタートだとのことでした。時間がない、のんびりしている場合じゃないし、今すぐ手に入れなければならないスキルだ!!!!
どうしたら最短で英語力を身につけることができるんだろう。毎日考えていました。とにかくいじめられた外国人にかたきをとりたくて仕方がありませんでした。いつか仕返しをしてやろう、このことしか考えていませんでした。今思えば、別にいじめられていたわけではないのですが、海外の方達の考え方やカルチャーの違いなど、私が井の中の蛙で世の中を知らなすぎたからだけなんですが(笑)
結局転職を決意しました
そしてあるとき突然ひらめきました「そうだ、英語しか使わない海外の会社で勤務すれば最短で学べる」但し、当時家族もあり全員で海外移住は現実的でないことはわかっていました。外資系企業の日本法人のなかで仕事で英語を多く使う会社を調べました。ありました。外資系の携帯電話の会社でした。
募集のポジションの部門長が当時の日本法人の社長が兼任されていて、直接その方とお会いすることができました。「ぜひ入社させてください」、「英語は大丈夫ですか?」と聞かれ、「英語がダメだから御社に入社してものにしたい」と答えました。必死だったと思います。生まれて初めて『この会社しかない』って強く思いました。「入社させていただき半年後に英語が上達していなかったら解雇する旨の契約でいかがでしょうか」と言いました。その方に「わかりました」と言っていただけました。実際その様な雇用契約でなく一般的な内容で正社員として雇用していただけました。
3社目の部品メーカーで、会社から私への追加された業務命令は海外とのコミュニケーションでした。その結果、英語力を得るために私は転職という選択を選んでしまいました。何だか本末転倒のようですが。
終わりに
- これは別に私の武勇伝でも何でもありません。当時はまだ若かったので少し無謀だったかもしれません。仮に今同じ状況なら、その様なパワーもありませんし、速やかにお断りしていると思います。しかし今となっては良い思い出です
- 現在、歳をとり経験をしてきたことから言えることは、目の前に現れる障害や予期せぬ出来事は成長の機会と理解し、乗り越える努力をすると道が開ける、と解釈しています
- 当然ですが逃げることもできます。しかし逃げたらそのままで何も変わりません
- 英語スキルを身につける目的の4回目の私の転職、その後の会社員人生、良い意味で劇的に変わりました
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